来 歴


わたしの鳥


午後のラジオから
聞こえてくるピアノは
ルドルフ太公作曲の「ぼくの馬」
ベートーベンが
そこここに手を入れた合作だと
ていねいな解説もつけられて
でんもそんなことはどうでもいい
「ぼくの馬」の
「ぼくの」ということばが
ピアノのキイのように
わたしをたたき続けるのはなぜ
所有していたルドルフ太公と
属していた馬との間に
さわやかな風は
吹いていたのかいなかったのか
のどかなひずめの音を響かせて
短いピアノはおしまいになる

さてわたしは何を所有しているか
存在ではなくて場所
それも誰もそこにいない場所
時としたら心のどこかに
どうしても芽ぶかない
荒地をかかえこんでいたりする
わたしの荒地を横切っていくのは
痩せたたくさんの鳥たち
とがったくちばしの
痛いしるしを刻みつけては
手の届かない空の涯へ
一羽また一羽と通過するだけ
波だつ海も
もう長いことわたしに属している
平安の日々を背にして
行方知れずの海へ出てきた
何かに所有され続けて
魂までなくすわけにはいかないから
羽がいじめの両腕を
なんとかすりぬけてきたその証だ
岩を噛む波の上へ
次々に降りてくる鳥の幻
そのうちの一羽が
ふいに目の前にクローズアップする
白い波も
海辺の風景ごと
遠のいてしまった空っぽのなぎさから
また飛びたとうとしているあの鳥
岩をける爪
波をたたく翼
わたしの領する場所を出ていこうと
わたしの鳥は天の高みへ首をのばしている

原文のまま。大公が太公となっている。

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